曽代用水概要


 往時この地域は、地区内を流れる長良川の河床が低く用水の取水が出来ないため、渓流水に頼った営農をしていましたが、安定した水の確保が出来ず毎年干ばつ被害に悩まされていました。また、平地の大半は林地として放置されていました。

 この荒地に尾張藩から来た喜田吉右衛門、林幽閑ならびに関村の住人柴山伊兵衛が用水路を引き新田開発を計画し、1667年に工事をはじめました。

 工事は、硬い岩盤を「たがね」と「金槌」で掘るという大変な工事で、着工から10年の歳月を経て約17キロの用水路が完成し、荒れ地が美しい水田に変わってきました。そして、現在も農業生産を支える重要な施設であります。

 造成されて以降、修理・改良工事が行われてきています。1934年(昭和9年)から行われた導水路の改良工事、1941年(昭和16年)から1997年(平成9年)にかけて用水路本体や分水施設等の改修工事が行われてきました。これ以外にも老朽化が進んでおり、現在、機能保全対策工事によって水路の長寿命化を行ってきています。また本用水は、農業者による農業用水のみならず、親水空間や防火用水など、地域用水としても活用されており、地域住民にとっても重要な施設であります。

 さらに、曽代用水の重要性や歴史を理解していただくため、小学校、土地改良区、農林事務所が連携し「出前事業」も行っています。

   曽代用水土地改良区


  • 組合員数

約1,500名       
  •  関係市町村
:  関市、美濃市
  • かんがい面積
約1,000ha
  • 水路延長
約17km